同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。 (イザヤ 46章4節) 背信の罪のために、イスラエルの民は、バビロン捕囚の憂き目にあっています。バビロンの地は、偶像が満ちています。新年ごとに偶像の神々が担がれて、行列になって行進する行事もあったようです。偶像は動物や人に担がれ、担われて移動します。もちろん、自ら動くことはできません。まして人を救うことなどできようはずがありません。「据え付ければそれは立つが、そこから動くことはできない。それに助けを求めて叫んでも答えず、悩みから救ってはくれない」のです(7節)。 それに対して、まことの神は、人に担われるのではなく、人を担う神であられます。悩みから救えないのではなく、人を救う神なのです。「遅れることなく救いをもたらす」神なのです(13節)。 神はここで、「わたしに聞け、ヤコブの家よ」と呼びかけ(3節)、「思い起こせ、初めからのことを」と訴えます(9節)。神に聞き、神の民のこれまでの歴史を思い起こすなら、分かるはずだと諭すのです。 私たちは、このときのイスラエルから、さらにその後の神の御業を知ることが許されています。とりわけ、主イエス・キリストの救いの御業を示されています。確かに神は、私たちを担い、背負い、救い出す神です。 【祈り】 生きて働かれるまことの神よ。きょうも私たちを担い、背負い、救ってくださることを感謝いたします。 川杉 安美(草加松原伝道所)
背信の罪のために、イスラエルの民は、バビロン捕囚の憂き目にあっています。バビロンの地は、偶像が満ちています。新年ごとに偶像の神々が担がれて、行列になって行進する行事もあったようです。偶像は動物や人に担がれ、担われて移動します。もちろん、自ら動くことはできません。まして人を救うことなどできようはずがありません。「据え付ければそれは立つが、そこから動くことはできない。それに助けを求めて叫んでも答えず、悩みから救ってはくれない」のです(7節)。
それに対して、まことの神は、人に担われるのではなく、人を担う神であられます。悩みから救えないのではなく、人を救う神なのです。「遅れることなく救いをもたらす」神なのです(13節)。
神はここで、「わたしに聞け、ヤコブの家よ」と呼びかけ(3節)、「思い起こせ、初めからのことを」と訴えます(9節)。神に聞き、神の民のこれまでの歴史を思い起こすなら、分かるはずだと諭すのです。
私たちは、このときのイスラエルから、さらにその後の神の御業を知ることが許されています。とりわけ、主イエス・キリストの救いの御業を示されています。確かに神は、私たちを担い、背負い、救い出す神です。
【祈り】
生きて働かれるまことの神よ。きょうも私たちを担い、背負い、救ってくださることを感謝いたします。