1コリント11章
「わたしの記念として行いなさい」
感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。(1コリント 11章24節)
遠山 信和(静岡教会)
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1コリント11章
「わたしの記念として行いなさい」
感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。(1コリント 11章24節)
遠山 信和(静岡教会)
11章1節で、「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい」と言われます。これはパウロが自分を誇って言うのではありません。自分の弱さを認めて神の憐れみを切実に求めるパウロのように、聖霊に導かれて生きる信仰の営みを見倣いなさいということです。
ここでは、神に喜ばれる、秩序ある礼拝がどのようなものであるかが示されています。男女のあり方や女性は頭にヴェールやかぶりものをすべきだということは、当時の社会の風習に配慮して言われていることです。神に喜ばれ、また周囲の世界にも良い証しとなる礼拝をささげることが大切なことです。私たちの時代にも、世に妥協するのではありませんが、私たちの生きる時代に相応しい礼拝のあり方があるはずです。
この礼拝についての教えの中で、17節から、主の晩餐のことが語られています。聖餐式は、パンとぶどう酒をいただくことにより、キリストの臨在にあずかることです。「わたしの記念としてこのように行いなさい」との主の御言葉は、単に思い出すということではありません。聖霊によって神との交わりに導かれて、キリストの十字架の恵みの力にあずかることなのです。
【祈り】
私たちがいつも聖霊に導かれ、キリストに倣う者として生きることができますように。