信仰によって再臨の主を待ち望む | ヘブライ人への手紙 10章32節-11章3節

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ヘブライ人への手紙 10章32節-11章3節

「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。
遅れられることはない。
わたしの正しい者は信仰によって生きる。…」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヘブライ人への手紙 10章37節~38節

信仰によって再臨の主を待ち望む

新年おめでとうございます。

37節は、ハバクク書2章3節の引用です。ヘブライ人への手紙の著者は、約束が指し示している終わりの時の完成に思いを向け、「来るべき方」がおいでになると語っています。待つのは、約束を成就してくださる「来るべき方」です。

本書において、「来るべき方」の到来は、キリストの再臨を指し示しています。「忍耐が必要なのです」(36節)という勧めが、再臨のキリストを待つという希望と結び合わされています。私たちが愛し慕っているキリストとの再会を待つという喜びが、忍耐を育みます。

38節後半の「もしひるむようなことがあれば」とは、迫害を恐れ、たじろぐことです。心が縮こまるとき、信仰の歩みは、現状維持ではなく、後退し始めます。そのような者は、神の「心に適」いません。神は、信仰の道を進み続ける者を喜ばれます。

「信仰によって生きる」は、パウロ書簡では、信仰義認の言葉です。本書では、困難の中にあっても再臨信仰によって生きる、です。聖書の読み方は、深く多様です。再臨信仰は、退こうとする心を励まし、前を向かせます。私たちは、持ち望む者を喜んで受け入れてくださる再臨の主を仰ぎ見て、この一年を歩みます。

【祈り】

神よ、新しい年の歩みを祝福してください。今年、信仰によって、再臨の主を待つことができますように。

岩崎 謙