人間にできなくても神にはできる | マタイによる福音書 19章

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マタイによる福音書 19章

イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 19章26節

人間にできなくても神にはできる

一人の青年が主イエスを訪れて、「永遠の命を得る」方法について尋ねました。この青年は、これまで律法の教えは「みな守ってきました」と断言できるほど、真面目に生きてきました。しかし、そのようにいくら努力を重ねても、この青年の心には、自分は永遠の命を得ることができるという確信がありませんでした。そこで彼は途方にくれて問いかけるのです。「まだ何か欠けているでしょうか」。

律法に従おうと懸命に努力してきたこの青年でさえ、そのままでは永遠の命には届かないと言われます。だとすれば、なおさらのこと、私たちが永遠の命を得るためには、一体どれほどの欠けを埋めなければならないことでしょうか。そして、その多くの欠けを、自分の努力や善行で埋めなければならないのだとしたら、私たちもまた途方に暮れて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と呟くほかありません。

しかし主イエスは、その欠けだらけの私たちに、慈しみ深いまなざしを向けてこう言われるのです。「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」、この神の権威と愛に信頼すること、それこそが、欠け多い私たちが永遠の命を得ることができるただ一つの方法なのです。

【祈り】

愛する主よ、欠け多い私たちにも、永遠の命をお与えになることができるあなたの御力を賛美いたします。

堂所 大嗣(恵那教会)