神の聖さに生きる | 民数記 5-6章

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民数記 5-6章

わたしがそのただ中に住んでいる宿営を汚してはならない。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 民数記 5章3節

神の聖さに生きる

イスラエルの民は旅の間、荒野に宿営しました。神はその宿営地に「わたしは住む」とおっしゃいます。これは、とても大きな慰めです。全能の神が味方となって共にいてくださるということだからです。しかし、神は聖なるお方です。ですから、いかなる汚れたものをもそのままにされません。神は宿営地を汚さないように、汚れた者を宿営の外に出すようにとお命じになります。それは人を差別するためではなく、神の聖さを保つことの重要性を示すためでした。

5章後半には夫婦の関係を汚す姦通罪について記されています。実際に罪が犯される場合もあるし、事実ではないのに疑いが向けられる場合もあります。いずれも夫婦間に大きな傷をもたらします。修復することが人間には困難な、その傷の対処法が定められています。

私たちはみな罪人であり、具体的に神の聖さに適わない罪を犯します。またそれを隠そうともします。隠された罪に対して人間には決定的な対処法はありません。けれども、神は隠された罪も全てご存じであり、必ず処断なさいます。神がご自身の聖さをいつまでもないがしろにされることはありません。この世は、神の聖さが現わされる舞台なのです。

【祈り】 罪の世に罪人として生きる私たちですが、聖なるあなたが共にいてくださることを覚えます。

常石 召一(大阪教会)