鶏の鳴き声に主の優しさを思い起こして | マタイによる福音書 26章69-75節

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マタイによる福音書 26章69-75節

するとすぐ、鶏が鳴いた。ペトロは、…イエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 26章74節~75節

鶏の鳴き声に主の優しさを思い起こして

主イエスは、以前こう言われました。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう』と書いてあるからだ」(26章31節)。この「わたし」とは主なる神のことで、「羊飼い」とは主イエスのことです。神が羊飼いである主イエスを打たれるので、羊の群れは散ってしまう、と言われています。主イエスの側から言うならば、「羊飼いであるわたしが神によって打たれるのだから、今夜はあなたがたを守ることができない!」です。このように主イエスは、つまずきの責任を全部ご自分が背負うような言葉で、弟子たちのつまずきを予告されました。

鶏が鳴いて、「あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」との主イエスの言葉を思い出したペトロは、すぐに主イエスの予告の意味に気づいたでしょう。ペトロは、鶏の声を聞いて、そこにある主イエスの優しさを思い起こし、自分の不甲斐なさにやるせなくなり、外に出て激しく泣きました。このときからペトロの悔い改めは始まっていたのです。

主イエスは、私たちにもさまざまな仕方で鶏の鳴き声を聞かせてくださいます。今、私たちに与えられているさまざまな苦難は、案外そういうことなのではないでしょうか。

【祈り】

さまざまな鶏の鳴き声を通して、私たちを悔い改めへと導いてくださることを感謝します。

吉田 謙(千里摂理教会)