「正しい礼拝」を求められる主 | マラキ書 1章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

マラキ書 1章

わたしに対する尊敬はどこにあるのか。
わたしが主人であるなら
わたしに対する畏れはどこにあるのかと
万軍の主はあなたたちに言われる。
わたしの名を軽んずる祭司たちよ
あなたたちは言う
我々はどのようにして御名を軽んじましたか、と。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マラキ書 1章6節

「正しい礼拝」を求められる主

旧約聖書の最後の書であるマラキ書は、バビロン捕囚から帰還したイスラエルの民に語られた神の言葉です。紀元前515年に第二神殿が完成しましたが、イスラエルの民は期待したような祝福を味わうことはできませんでした。そのため、多くの者たちは幻滅の内に懐疑的になり、信仰の情熱も失っていきました。

そのような民に対して、「わたしはあなたたちを愛してきた」と主は言われました(2節)。イスラエルは、神に選ばれ、愛された民です。主は、兄のエサウではなく、弟のヤコブを選び、愛されました。神の民が、愛されている根拠は、ただ神の恵み深い御心にあります。

その神が、神の民に求めておられるのは、「正しい礼拝」です。しかし、イスラエルの民の礼拝は腐敗していました。汚れたパンやふさわしくない献げ物がささげられていました。問題は外的行為だけにあったのではありません。それを生み出していたのは、神の御名を軽んじ、侮る、心の態度です。そのような礼拝を、神は喜ばれません(10節)。主は霊と真理による礼拝を待ち望んでおられます。

袴田 康裕(神戸改革派神学校)