偶像とまことの神 | 詩編 115編

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詩編 115編

国々の偶像は金銀にすぎず
人間の手が造ったもの。

偶像を造り、それに依り頼む者は
皆、偶像と同じようになる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 115編4節、8節

偶像とまことの神

4節から8節には、偶像の虚しさが語られています。「口があっても話せず、目があっても見えない。耳があっても聞こえず、鼻があってもかぐことができない。手があってもつかめず、足があっても歩けず、喉があっても声を出せない」と。

けれども、罪ある人間には、形あるもの、目に見えるものに頼ろうとする弱さがあります。出エジプトのとき、イスラエルの民が金の若い雄牛を造って拝んだ事件を思い出してください。偶像礼拝者の末路は剣による死という重い裁きでした。「偶像を造り、それに依り頼む者は皆、偶像と同じようになる」のです。

私たちが信じている神は霊であり、目で見ることはできません。しかし、この方はかつて語られ、今も御言葉を通して語り、私たちの歩みに目を注ぎ、祈りを聞かれます。神を愛し、信頼し、崇める者を救い出し、恵みと祝福へと導き入れてくださいます。 そのことを知っている詩人は、この方に依り頼み、祝福を求め、そして賛美します。「主をたたえよう、今も、そしてとこしえに。ハレルヤ」(18節)。私たちもこの賛美に声を合わせましょう。

木村 恭子(川越教会)