身体のよみがえり | コリントの信徒への手紙一 15章35-58節

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コリントの信徒への手紙一 15章35-58節

死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コリントの信徒への手紙一 15章42節~43節

身体のよみがえり

人生はいつか終わり、私たちの肉体は消えてなくなります。しかし、使徒信条は「身体のよみがえり」を信じると告白します。霊魂の不滅を教える宗教や哲学は多くあります。しかし、聖書は、死後に魂が神のもとへ帰ることと共に、世の終わりに肉体が「朽ちないものに復活」するということを約束しています。

この「身体のよみがえり」は、キリストが墓の中からよみがえられたことによって確かなものとされました。それゆえ復活の証人となった弟子たちは、死を恐れることなく、迫害の中にあっても福音を語り、最後まで希望を持って歩みました。

また、このよみがえりへの希望が、今このときの私たちの信仰生活を整えることにもなります。復活を信じなければ、「食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか」(1コリ15章32節)ということにもなります。しかし、復活を信じる者は、自分の体を生けるいけにえとして神に献げます。罪を赦されて義とされた者は聖化の道を歩み、身体のよみがえりに備えるのです。

石原 知弘(東京恩寵教会)