友の苦しみを執り成して祈る愛 | ヨブ記 20章

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ヨブ記 20章

たとえ彼が天に達するほど
頭が雲に達するほど上って行っても
自分の汚物と同様、永久に失われ
探す者は、「どこへ行ってしまったのか」
と言わなければならなくなる。
夢のように飛び去り
夜の幻のように消えうせ
だれも見いだすことはないだろう。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ヨブ記 20章6節~8節

友の苦しみを執り成して祈る愛

3人目の友人ツォファルが「わたしは反論せざるをえない」と言って語り始めます(2節)。「わたしを贖う方は生きておられ」というヨブの信仰の言葉を聞いて(19章25節)、彼はなぜ喜べなかったのでしょうか。自分に反対する人は間違っていると考えて、ヨブを正そうと考えたのかもしれません。「あなたたちはわたしの友ではないか」と言うヨブ(同21節)に対して、友人たちは議論している間に、友人から論敵になってしまったかのようです。

ツォファルの主張は、悪人は必ず裁かれて滅びるということです。ヨブも悪人に対する裁きは神が必ずなされると認めています。ヨブが問題としているのは、何故正しい人が苦しまなければならないのかということです。神を畏れる者が何故苦しめられるのかということです。

友として寄り添うとは、議論して正そうとすることではないでしょう。本当の愛とは、苦しみを共に苦しみ、執り成して祈ることではないでしょうか。私たちは、そのように祈られてきたのです。私たちのまことの友となってくださった十字架の主イエス・キリストによって。

小中 史郎