律法による義ではなく、信仰による義 | マタイによる福音書 5章13-20節

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マタイによる福音書 5章13-20節

「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 5章20節

律法による義ではなく、信仰による義

ロシアの文豪トルストイは、晩年に主イエスが教えた山上の説教の内容に傾倒し、真のキリスト者はその言葉の通りに生きることが大切だと主張しました。ところが、自分の財産を貧しい人に施そうとしたときに家族の反対を受けて、彼は家出をします。結局、彼は旅先の小さな駅舎で一人息を引き取った、と言われています。

「律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ」と、主イエスは私たちに教えています。もしこの義が山上の説教の内容を実践することであるとしたら、私たちもトルストイと同じ挫折を経験するはずです。律法学者やファリサイ派の人々は「律法による義」を追い求めました。人間の行いと努力による義を求めました。

しかし、どんなに私たちが努力しても、自分の力で神の義を満たすことはできません。主イエスはそのような私たちのために、十字架にかかって完全な義を実現してくださいました。山上の説教の教えはこの主イエスに私たちを導く案内人のような役割を果たしています。「信仰による義」こそが私たちには必要であると気づかされるのです。

櫻井 良一(東川口教会)