神を信じ切れない弱さ | 創世記 3章

RCJメディアミニストリー「ふくいんのなみ」のトップページへ戻る

創世記 3章

蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
女が見ると、その木は…賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 創世記 3章4節~6節

神を信じ切れない弱さ

エデンの園で、人は何不自由なく、何の疑いもなく、神の愛に包まれて暮らしていました。自由な愛において、純朴に神を信頼し、神との約束を大切にして生きていました。

しかし、そういう「神と共に生きる人」を皮肉に見つめる世慣れた蛇が「本当にそれでいいの?」と揺さぶりをかけてきます。それは、神の愛を疑わせるものでした。結果、人は、神の言葉より蛇の言葉を信じ、神と人との蜜月は破局を迎えました。

「神との約束を守っていては、本当の幸せを手に入れることはできないのではないか?蛇の言葉のほうがより現実的で人間的ではないか?」という疑いや傲慢は、私たちの内にもあります。そういう思いで善悪の知識の木の実を見つめた時、今まで気にもしていなかったものが、おそろしく魅力的に思えたようです。神を裏切ることは、いつでも魅力的に思えるのです。

神はそのような人の裏切りに、「何ということをしたのか」(13節)と、激しく怒られました。怒ったり、悲しむのは、本気でその人を愛しておられるからです。

坂井 孝宏(湘南恩寵教会)