心に芽生えた悪は何十倍にも膨らみ、行為となる | 詩編 139編

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詩編 139編

神よ、わたしを究め
わたしの心を知ってください。
わたしを試し、悩みを知ってください。
御覧ください
わたしの内に迷いの道があるかどうかを。
どうか、わたしを
とこしえの道に導いてください。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 139編23節~24節

心に芽生えた悪は何十倍にも膨らみ、行為となる

聖書には多くの「罪人」たちが登場します。例えば、カインという農夫がいました。彼は自分の弟アベルだけが神に大切にされているように思え、アベルを襲い、手にかけてしまいました(創4章)。また、ダビデという王がいました。彼は王宮の屋上から覗き見えた婦人の美しさに心を奪われ、関係をもち、子を孕ませました。そのスキャンダルの発覚を恐れ、婦人の夫が戦死をするように仕向けもしました(サム下11章)。

彼らはいずれも最初から重い罪を犯そうとしたわけではありません。最初は、ただ小さな光景、小さな衝動があっただけです。罪は心に芽生えたよくない思い、悪を何倍、何十倍にも膨らませて、私たち「罪人」の行為とします。

『ハイデルベルク』は、第十戒が求めることを「ほんのささいな欲望や思いも、もはや決してわたしたちの心に、入り込ませないようにするということ」(問113答前半)と教えています。

罪は一度、動き始めると私たちの心で制御することができません。ですから、罪に無防備な私たちのせめてもの抵抗はその心を神に見て頂き、憐れみを祈り求めることです。

柏木 貴志(岡山教会)