わたしのための主の十字架 | マタイによる福音書 26章

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マタイによる福音書 26章

「取って食べなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 26章26節~28節

わたしのための主の十字架

最後の晩餐において、イエス・キリストは、パンを裂き、それを弟子たちに与え、更にブドウ酒の杯を取って、弟子たちに与えられました。主イエスの制定によって、私たちは今日も聖餐式を守っています。

パンとブドウ酒は、地上的なものです。これに対して、キリストの十字架による罪の赦しと永遠の命は、霊的なことです。両者は別々のものです。しかし、神の約束の言葉と聖霊の働きによって、両者は関連づけられるのです。

聖餐式において、確実に霊的祝福にあずかることができることを、私たちはどのようにして知るのでしょうか。『ハイデルベルク』問75の答は、「わたしが目の当たりにしているのと同様に確実である」と述べています。すなわち、パンとブドウ酒を私たちが「見る」のが確実であるように、キリストの体が「わたしのために十字架上でささげられ、また引き裂かれ、その血がわたしのために流された」ことは確実なのです。

それゆえに、主イエスは聖餐式ごとに「取って食べなさい」「皆、この杯から飲みなさい」と私たちを大いなる祝福へと招いておられます。

袴田 康裕(神戸改革派神学校)