主の慈しみを待ち望む人の幸い | 詩編 147編

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詩編 147編

獣や、烏のたぐいが求めて鳴けば
食べ物をお与えになる。
主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく
人の足の速さを望まれるのでもない。
主が望まれるのは主を畏れる人
主の慈しみを待ち望む人。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 詩編 147編9節~11節

主の慈しみを待ち望む人の幸い

詩人はこの詩編を通して主を賛美し主に信頼するよう私たちを促します。

主は天地万物を創造され、御言葉によってそれらを支えておられる力ある神です。獣や、烏のたぐいが求めて鳴けば、食べ物をお与えになられます。主はご自分が造られた小さく無力な生き物の求めに応じて必要を満たされる慈しみ深い神です。それらの生き物は無意識に主の慈しみを待ち望み、その期待は裏切られません。

主はご自身の民が主に信頼して主の慈しみを待ち望むことを喜ばれます。しかし、人はしばしば主よりも見えるものに信頼します。「馬の勇ましさ」や「人の足の速さ」は戦いのための有利な条件を象徴している、と思われます。しかし王が戦いに勝利するのは、目に見える強力な備えではなく、ただ主によるのです(詩33編16~18節)。

私たちはしばしば主に依り頼まないで、見えるものや自らの力に依り頼むという失敗をします。生涯をかけて、この聖書の原則によって生きることを学ぶ者でありたい、と願います。

後藤 公子