神に仕える王として | 申命記 17章

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申命記 17章

彼が王位についたならば、レビ人である祭司のもとにある原本からこの律法の写しを作り、それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばならない。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 申命記 17章18節~19節

神に仕える王として

イスラエルの王は、神の僕であり、諸国の王とは全く異なる存在です。もともとイスラエルには王はいませんでした。神が王として神の民を治められるからです。ですから、神が王を立てよと命じられたわけではありません。

しかし、後の時代に周囲の敵に対応するため、人びとは王を求めるようになり、神はこれを許容されます。そのときを見越して、神は「あなたの神、主が選ばれる者を王としなさい」と命じられました(15節)。そして立てられた王に「律法の写しを作り、それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばならない」と命じられます。王は神を畏れ、神の教えに従って、託された使命を果たす神の僕です。

私たちは王ではありませんが、それぞれ家庭や職場等で大切な責任と役割を持っています。地位や名誉もあるかもしれません。そこで、私たちは、どのように力を発揮するのか。神の僕たる私たちは神を畏れて、託された使命を果たします。

小峯 明(船橋高根教会)