ガラテヤの信徒への手紙 2章
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ガラテヤの信徒への手紙 2章20節
わたしの主イエス
石本 耕一(四国中会)
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ガラテヤの信徒への手紙 2章20節
石本 耕一(四国中会)
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「わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子」。これは、他者に教理を教えている言葉ではありません。キリストと共に死んでキリストと共に生きる人生に造り変えられたパウロが神に献げている信仰告白です。ここで告白されているのは、神とパウロ個人との縦の関係です。
前の段落(11~14節)では、パウロは、兄弟姉妹との一致と交わりを覚えつつ福音の真理を語っていました。パウロは兄弟姉妹との横の関係をも非常に大事にしていた人なのです。ですから、パウロは、「わたしたちを愛し、わたしたちのために」と語ることもできたはずです。そのパウロが、あえて、「わたしを愛し、わたしのために」と「わたし」を強調していることは、注目に値します。
「わたしが今、肉において生きている」とも書いてあります。肉のゆえの痛み、苦しみを伴う毎日です。このような日々の中、「キリストがわたしの内に生きておられる」とパウロは語ります。
「わたしを愛し、わたしのために身を献げられた」主イエスが、わたしの内に今生きておられるので、わたしは、きょうも、肉において主と共に、主のために生きることができます。