月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年7月19日(日)

マタイ11章25-30節 主イエスの招き

  

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11:28-30)

 多くの教会で、礼拝の始まりに、招きの言葉として読まれている御言葉です。

 当時、ユダヤ教指導者たちは律法を教えながら、自分でも守れない重荷を民の背中に背負わせていました。そのため、人々はいつどこでも霊的にも肉体的にも疲れていました。それは、平和の君であられる神を礼拝する時も例外ではありませんでした。

 しかし、主イエスは重荷を負ったすべての疲れた人びとに安息を約束して、ご自分のもとに招いてくださいます。真の安息は何もしないことで得られるのではなく、柔和で謙遜な主イエスに学び、倣うことから得られます。このため、主イエスの安息への招きは学び、倣うことへの招きにつながります。

 「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」。軛はひとりで担ぐものではありません。2頭以上の家畜がペアで担ぐものです。私たちが負う主イエスの軛が負いやすい理由は、この軛の片方を主イエスが負っておられるし、事実、ほとんどを主イエスが負ってくださるからです。

 今日、主イエスの招きに応えて主に学び、主に倣い、心からの安息に浸りましょう。

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