ここでは、主が力強い御手を振るわれる「主の日」に行われるエジプトへの裁きが預言されています(1節〜19節)。主なる神は、高慢(6、18節)のゆえに、また偶像崇拝(13節)のゆえにエジプトを打たれます。そしてそのための道具としてバビロンの王ネブカドレツァルを用いられます。彼は自分でエジプトを攻めていると思っていたことでしょう。しかし彼も主なる神によって遣わされた器に過ぎませんでした。しかもそのバビロンも「悪しき者たち」と呼ばれています(12節)。私たちはこの悪しき者さえ用いながら裁きを行われる主なる神こそが絶対的な世界の支配者であられることを覚えるべきです。「主なる神はこう言われる。
泣き叫べ、ああ、その日は災いだ。
その日は近い。主の日は近い。
それは密雲の日、諸国民の裁きの時である。
剣がエジプトに臨み、戦慄がクシュを襲う。」(エゼキエル30:2-4)