月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年12月13日(金)

エゼキエル24章 わたしが神であることを知るようになる

  

「エゼキエルは、お前たちにとってしるしとなる。すべて彼が行ったように、お前たちもするであろう。すべてが実現したとき、お前たちは、わたしが主なる神であることを知るようになる。」(エゼキエル24:24)

 バビロンがエルサレムを包囲し始めた日、神はエゼキエルにたとえを語るように言われました。さびた鍋のたとえです。さびた鍋に、肉や骨を煮込んで、錆を取ろうとしても、錆は取れません。次に、そのまま強く燃やすように言われます。料理がすべて燃え、空の鍋を火にかけて錆が剥がれ落ちるようにさせたのです。それでも錆は落ちません。それほど、神の民の罪は深かったのです。

 続いて神はエゼキエルに、大きな悲しみを予告され、その悲しみの中でも、「声をあげずに悲しめ。死者の喪に服すな」と言われました。そして、彼の妻が死んだとき、彼は声をあげずに悲しみ、喪に服しませんでした。

 人びとが「あなたが行っているこれらの事は、我々にどんな意味があるのか告げてくれないか」と尋ねると、エゼキエルが声をあげずに悲しんだように、エルサレムが滅ぼされてもイスラエルの民が声をあげずに悲しむようになると預言したのです。

 彼が妻の死に対してとった行動で、神が主であることを人びとが知ったように、私たちの歩みが人びとに神を示すものとなりますように。

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