月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年11月 5日(火)

2コリント8章 貧しくなられた主

  

あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。(2コリント8:9)

 献金・奉仕・慈善といった愛の業は、ゆとりがあるのでするのではなく、神の救いへの感謝からするものです。パウロは、コリント教会にも貧しいエルサレム教会のための献金を勧めました。それは、救い主の貧しさにあずかることなのです。

 神の救いは、何よりも愛の原理、恵みの原理によります。私たち罪人を贖い出すために、主ご自身、聖い神の御子であられたのに、人となって私たちの罪を負い十字架の死に至るまでご自分の命を献げ尽くしてくださいました。主は豊かであられたのに、私たちのために貧しくなられたのです。

 健康・お金・能力といった、私たちが地上で神からいただいている恵みの賜物を本当に神に感謝するのは、神の救いにあずかることによります。神からの一方的な憐れみと恵みへの感謝が、他の人や教会の困窮を我が事として受け止め、強いられてではなく喜んであふれ出て献げる愛となります。私たちは、主の貧しさにより、この神の愛に豊かにされて、キリストの救いの恵みにますます感謝するのです。

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