月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年8月27日(火)

詩編77編 祈りが神に届かないと思うとき

  

「主はとこしえに突き放し
再び喜び迎えてはくださらないのか。
主の慈しみは永遠に失われたのであろうか。
約束は代々に断たれてしまったのであろうか。」(詩編77:8-9)

 2節から10節で、詩人は耐えきれない苦難と絶望の中で続けて神を呼び求めます。9節で、「主の慈しみは永遠に失われたのであろうか。約束は代々に断たれてしまったのであろうか」と絶望の中で神の応答を待っています。けれども、神からは何の答えもありません。

 私たちも、なぜわたしの神はこの苦しい状況から救おうとされないのかと、神を批判することがあります。しかし、11節から神を賛美する内容に変わります。状況が全く変わっていないのになぜ神を賛美し、希望を持つことができたのでしょうか。

 16節に、ヤコブとヨセフが出てきます。ヨセフは兄弟たちに裏切られ、エジプトに奴隷として売られました。父ヤコブはヨセフが野獣に殺されてしまったと思って長い間苦しんでいました。しかし、それは、モーセとアロンの手を通してご自分の民を乳と蜜の流れるカナンの地に導かれるためでした(21節参照)。

 神は必ずご自身の民の嘆きに応答してくださいます(イザ41章17節)。自分の期待ではなく、わたしの考えを遥かに超える神の導きに希望を持ちたいです。

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