月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年5月16日(木)

詩編49編 人を真に贖うのは神

陰府に置かれた羊の群れ
死が彼らを飼う。
朝になれば正しい人がその上を踏んで行き
誇り高かったその姿を陰府がむしばむ。
しかし、神はわたしの魂を贖い
陰府の手から取り上げてくださる。(詩編49:15-16)

 この詩編は、4節に「わたしの口は知恵を語り、わたしの心は英知を思う」と言っていますから、「知恵の詩編」とでも呼ぶと良いのでしょう。

 しかし、この詩編が全体的に暗く、否定的に聞こえるのは、人間の死を取り扱っているからです。10節の「人は永遠に生きようか」という問いは必然的に「違う」という答えになります。

 お金持ちが死を逃れることはなく、死は誰にも平等に訪れます。神に身代金を払って死をキャンセルすることもできないし、どんな大金があっても魂を贖うには全く足りないと言われます。

 この事実を逆転させるのが「しかし」という言葉です。これは、かなり強い作用をする言葉で、先に述べたことを完全に打ち消します。「しかし、神はわたしの魂を贖い、陰府の手から取り上げてくださる」。人にはできなくても、神にはできるのです。

 たとえ肉体は死んだとしても、神はこのわたしを贖ってくださいます。陰府からでも取り上げます。ですから、「自分の力」や「自分の口の言葉」(14節)に頼るのではなく、神に信頼を置いて生きるべきです。

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