月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年1月29日(火)

詩編42編 嘆きの底に与えられる希望

なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。
神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう
「御顔こそ、わたしの救い」と。
わたしの神よ。(詩編42:12)

 きょうの詩編は、魂の慟哭が聞こえてくるような嘆きの詩です。詩人はエルサレム神殿で奉仕する者の1人でした。しかし、何らかの理由で、「ヘルモン」(7節)というイスラエル北の果てまで連れてこられ、囚われの身になりました。その姿はかつての神殿奉仕者の輝きや誇りはなく、嘆きと嘲りにまみれています。人びとからは、その罪ゆえに神に見捨てられた者として扱われ、肉体的にも精神的にも傷ついた日々を送っています。彼自身がこれは神の怒りであると知り、神の恵みも見えなくなりそうでした。

 しかし、その嘆きの只中で彼は「枯れた谷に鹿が水を求めるように」神を渇望します(2節)。確かに今の状況は神の裁きであり、激流のように彼を襲いかねない(8節)。しかし、神は彼の救いの岩として共におられ、たとえ彼の内に希望がなくとも、彼の希望はいつも神にあって失われない。その信仰が、彼の魂に呼びかけます。何を沈んでいるのだ、何をぶつぶつ言っているのだ。神があなたを救ってくださるではないか、と。

 「御顔こそ、わたしの救い、わたしの神よ」。この告白がきょうも私を支えています。

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