月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年12月28日(金)

詩編39編 むなしさのなかでの祈り

ああ、人は空しくあくせくし
だれの手に渡るとも知らずに積み上げる。
主よ、それなら
何に望みをかけたらよいのでしょう。
わたしはあなたを待ち望みます。(詩編39:7-8)

 労苦して生きる日々に手ごたえを感じられなくなるとき、生きるための営みが無意味に思えることがあります。そのようなむなしさは人の心を荒ませます。罪深いことを口にしてしまうかもしれないと思い、詩人は荒んだ心を人にぶつけぬように口を閉ざしました。しかし、募る思いは祈りとなって溢れ出ます(3、4節)。

 「教えてください…わたしの生涯はどれほどのものか」(5節)。人生に意味を見出すことができるなら苦しみが薄れるのでは?と、詩人は生涯の意味を神に尋ねます。しかし、そこで教えられたのは人間の惨めさでした。労したところで人は何を残すでもなく、むしろ罪を重ね、その罰のようにして与えられる苦しみにさいなまれ、衰え果てる(6、7、11節)。

 暗い思索を重ね、生きる意味が失われそうになったとき、最後に残されたのは、神にすがりつくことだけでした。詩人から主を求める言葉が溢れ出ます。「わたしはあなたを待ち望みます」(8節)。空虚に思える人生に意味を与えることのできるお方、主のもとにこそ確かな居場所があります。

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