月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年7月25日(水)

出エジプト9-10章 人びとの頑迷と神のしるし

主はモーセに言われた。「ファラオのもとに行きなさい。彼とその家臣の心を頑迷にしたのは、わたし自身である。それは、彼らのただ中でわたしがこれらのしるしを行うためであり、…わたしが主であることをあなたたちが知るためである。」(出エジプト10:1-2)

 「ファラオを頑迷にしたのは主ご自身だ」と言われているのは、「だからファラオには罪がない」と言う意味ではありません。これはファラオの犯した罪さえも用いて救いの歴史を導かれる神の御業の確かさを表しています。主イエスを十字架につけたのは頑迷なユダヤ人の仕業でしたが、神の救いの御業がその出来事を通して成就したことも、これと同じです。

 人には「今までと同じであればよい」と考え、変化を恐れ、頑迷になる傾向があります。ファラオは自分と自分の周りに起ころうとする変化を恐れて頑迷になりました。私たちにとって大切なことは、救いの歴史を導かれる神を信頼すること、そして自らが頑迷になって罪を犯すことがないように、日々神の前で悔い改め続けることだと言えます。

 神はきょうも救いの御業を私たちの生活を通して前進させてくださいます。ですから、私たちも変化を恐れて頑なになるのではなく、神を信頼して新しい一日を歩み始めたいと思うのです。

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