月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年5月12日(土)

イザヤ45章 わたしが主、ほかにはいない

日の昇るところから日の沈むところまで
人々は知るようになる
わたしのほかは、むなしいものだ、と。
わたしが主、ほかにはいない。
光を造り、闇を創造し
平和をもたらし、災いを創造する者。
わたしが主、これらのことをするものである。(イザヤ45:6-7)

 主は、異教の国ペルシアのキュロス王をご自身の器として立てられます。キュロスを立てた目的が三つ記されています。一つはキュロス王自身が主を知るため(3節)、二つめはイスラエルが解放され、救われるため(4節)、三つめは「日の昇るところから日の沈むところまで」、人々が主を知るようになるためです。

 「土の器のかけらにすぎない」人間には、さまざまな疑問が湧き起こるでしょう(9節)。なぜ残酷なバビロン軍が神の民の裁きに用いられたのか。なぜ解放する者が異教の王なのか。しかし、それは粘土が陶工と争うようなことなのです(9、10節)。

 主は言われます。「わたしが主、ほかにはいない。光を造り、闇を創造し、平和をもたらし、災いを創造する者。わたしが主、これらのことをするものである」。

 主のご計画と導きは、計りがたく、しかも恵み深いものです。そして、「恵みの言葉が出されたならば、その言葉は決して取り消されない」のです(23節)。たとえ不合理に思えても、闇の中、災いの中にあるかのように思えても、すべては神の民の益のためにあることを信じましょう。

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