月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年5月7日(月)

イザヤ40章 力強い慰め

ヤコブよ、なぜ言うのか
イスラエルよ、なぜ断言するのか
わたしの道は主に隠されている、と
わたしの裁きは神に忘れられた、と。(イザヤ40:27)

 神の民は、自らの罪のゆえに捕囚の憂き目にあっています。絶望、不信、あきらめ、さまざまな思いにとらわれていたことでしょう。そこに、主からの慰めの言葉が語られます。その慰めの言葉が気休めで終わらないために、二つのことが確かでなければなりません。一つは、慰めてくださる主は、いま自分たちを支配している異国の力や神々よりも力強いのか。もう一つは、主は自分たちを見捨ててはおられないのか。

 第一の問いに対しては、「目を高く上げ、誰が天の万象を創造したかを見よ」と言い、神の創造の御業を歌い上げて、異国の神々は人間が作った偶像でしかないことをあばきます(12〜26節)。

 第二の問いに対しては、「なぜ『わたしの道は主に隠されている』、『わたしの裁きは神に忘れられた』などと言うのか」と言い、主は羊飼いのように顧みると諭します。主は決してご自分の羊を見捨てるお方ではありません。

 天地創造の神が羊飼いのように神の民を守り、導いてくださいます。この慰めが私たちにも与えられています。「主に望みをおく人は新たな力を得」るのです(31節)。

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