月刊誌リジョイス 聖書日課 2018年3月15日(木)

創世記16章 顧みられる神

ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、「あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です」と言った。それは、彼女が、「神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか」と言ったからである。(創世記16:13)

 「不妊の女」と呼ばれてきたサライは、自分との間に生まれる子ではなくとも、アブラムから生まれる子であるなら、それでよし、と考えました。サライは彼女なりに、主の約束を受け入れました。アブラムもサライの苦悩を理解して、サライの提案に同意します。

 しかし、両者の決断は、悲劇的な結末を迎えます。アブラムの子を身ごもったハガルは、アブラムの同意のもと、サライによって追い出されます。約束の成就のためにと思って練った策略でしたが、御心に適うものではありませんでした。

 神は、アブラムにもサライにも見捨てられたハガルを心にかけてくださいます。御使いを遣わし、語りかけ、子を産むように励まし、約束の子でなくても、産まれ出る子を祝福されます。神は、悲しみのなかの母と子を顧みてくださいます。

 私たちは、神の約束を自分の都合に合わせて解釈することがあります。その結果、自分で後始末さえできない、大きな過ちを犯すことがあります。神は、私たちの愚かしさと弱さをご存じです。神の憐れみは、悲しみ嘆くすべての者に及んでいます。

コントローラ


自動再生されない方はこちらから再生(mp3形式)
Copyright (C) 2018 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.