月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年12月5日(火)

マタイ16章 何に従うのか

「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」(マタイ16:25)

 「御心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」

 私たちは、罪から解放されて「自由を得るために召し出され」(ガラ5章13節)ました。自由とは、一般に「他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意志や本性に従っていること」(大辞林第三版)です。

 しかし、聖書において、私たちが救われて自由とされているということは、そうではありません。救われた私たちはむしろ自分の本性に従うのではなく、神の御心に拘束・支配されるのです。一般的な定義であれば、これは自身の自由を放棄しているように映ります。

 聖書は、私たちが自分を捨てることによって真の命を獲得することができると教えています。私たちが私たちの本性によって、命を得ようとする道は、全く不十分であるばかりか、何の益も生み出すことができないのです。

 むしろイエス・キリストがご自分の命を十字架上で捨てたことによって、永遠の命を獲得してくださったように、私たちも自身を捨てることによって命をいただけます。キリストの永遠の命をいただけますよう祈りましょう。

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