月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年10月8日(日)

ローマ3章 ソルス・キリストゥス(solus Christus、「キリストのみ」)

ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。(ローマ3:24)

 前回学びました「聖書のみ」は、「キリストのみ」ということと結びついています。聖書のみが私たちの信仰と生活の指標であるならば、キリストのみは私たちの信仰と生活の唯一の目標です。

 当時、ローマ・カトリック教会は、聖礼典を執行する聖職者が神の赦しと救いの恵みを伝達する仲保者的な役割を果たせると主張しました。そのような考えは、功績主義を、さらには免罪符をも生むことにまでなりました。

 しかし宗教改革者たちは、全く罪のうちに堕落してしまった私たち人間が義とされるのはただキリストのみによると語ります。「キリスト教を他の宗教と区別するのは仲保者キリストの存在にある」というカルヴァンの言葉は大切です。彼は、『キリスト教綱要』第2篇で全くの罪人である人間、旧約と新約のキリスト、仲保者、救い主キリストという順番で、「キリストにおける贖い主なる神の認識」について述べています。

 キリスト教の中核的教理であるキリストの十字架なしには、もはやキリスト教ではありません。私たちはただ十字架にかけられたイエス・キリストのみを讃えます。

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