月刊誌リジョイス 聖書日課 2017年8月3日(木)

マタイ18章 神の聖さと憐れみのゆえに

「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。…二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:18-20)

 教会にとって一番大切なこと、それは教会の純潔と平和を増進させることです。教会は、主キリストのご性質と御業、ご意思を反映する主の御体だからです。

 しかし、教会は罪赦された罪人の集まりでもあります。私たちは日毎に罪を犯すだけでなく、戒規に該当する罪を犯してしまうこともあります。神の言葉に反する行いと生活によって、神の御心を深く悲しませ、隣人を傷つけ躓かせてしまうことも起こります。

 こうした場合、教会は罪の種類と大きさを慎重に判断し、鍵の務めの二つ目である戒規を執行します。戒規には、訓戒、陪餐停止、職務執行停止、免職、除名があります。

 兄弟の違反を扱うその会議の中心に、兄弟を贖われた主キリストが「わたしもその中にいる」とおっしゃいます。わたしの正義と聖さを貫き、憐れみと慈しみの愛を示せと主は語られます。

 戒規は罪を犯した兄弟を神の家族から締め出すためのものではありません。罪を犯したにもかかわらず愛をもって罰せられない子どもほど惨めで哀れなものはありません。戒規は、神の聖さと憐れみによる霊的訓練なのです。

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