月刊誌リジョイス 聖書日課 2016年5月12日(木)

ヘブライ9章 キリストの血の効力

もし、雄山羊と雄牛の血…が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、まして、永遠の“霊”によって、御自身をきずのないものとして神に献げられたキリストの血は、わたしたちの良心を死んだ業から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。(ヘブライ9:13-14)

 「生き物の命は血の中にある」、「血はその中の命によって贖いをするのである」と記されています(レビ17章11節)。いけにえが屠られると、赤い鮮血がおびただしく流れ出ます。血を流し、がくがくと震えて、いけにえが絶命していきます。自分の身代わりに死んでいくのです。壮絶な光景です。そのような犠牲の姿を見ることは、信仰生活に緊張をもたらしたことでしょう。

 その神殿祭儀において流された血は、やがて与えられる、イエス・キリストの血による「永遠の贖い」を指し示すものでした(ヘブ9章12節)。「この杯は、罪の赦しを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの血で立てられた新しい契約である」とは、聖餐式の式文です。そこで思い起こされるのは、あの十字架の上で流された主の赤い鮮血です。主の壮絶な絶命です。

 この主イエスの血を真剣に思い起こすなら、私たちの中で必ず何かが変わり始めます。キリストの血は、私たちの良心を清めて、死んだ行いから離れさせ、生ける神に真剣に仕える者と変えるはずです。

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