月刊誌リジョイス 聖書日課 2016年3月15日(火)

ヨブ3章 苦悩する人間の尊さ

なぜ、労苦する者に光を賜り
悩み嘆く者を生かしておかれるのか。
彼らは死を待っているが、死は来ない。
地に埋もれた宝にもまさって
死を探し求めているのに。(ヨブ3:20-21)

 「苦悩のうちにある者は聖なる者である」という言葉に出会ったことがあります。

 塵の中にうずくまるヨブのもとにやってきた友人たち。ヨブの悲惨な姿に皆が言葉を失いました。その沈黙を破ったのはヨブでした。「その日は闇となれ」(4節)。ヨブは自らの誕生の日を呪います。

 神は「光あれ」と世界を創られ、その光のうちに、人間を良いものとして造られました。それが、ヨブには分からなくなりました。なぜ神は、人間に光を見せられたのか。なぜ神は、人間に嘆きを与えながら、なお生かされるのか。すべて闇に覆われてしまったなら、命さえも奪われてしまったなら、ヨブは理解できます。神はそういうお方であると。しかし、そうではない。神は光を奪いきらず、ヨブを暗さの中で、深い悲嘆の淵で、なお生かされる。そこにヨブの苦悩があります。神の御業の意味が分からない。その苦悩にヨブは正直です。そこにヨブの人間としての美しさ、尊さを見ます。

 私たちも神の恩寵の光と、心に広がる闇との狭間で苦悩するでしょう。その苦悩が、私たちを神の御前にある人間であり続けさせます。

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