月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年10月7日(水)

サムエル下12章 嘆きとその向こう

主はその子を愛され、預言者ナタンを通してそのことを示されたので、主のゆえにその子をエディドヤ(主に愛された者)とも名付けた。(サムエル下12:24-25)

 この章は1節から25節を一気に読まなければなりません。預言者ナタンの叱責、ダビデの悔い改めと嘆き、その子の死と激しい悲しみ、そして、ソロモンの誕生。

 ナタンの指摘によってダビデは密かに処理したと思っていた罪を暴かれます。その時、ようやく彼はどれほど深刻な罪を犯したかを自覚します。そのあと、彼が経験せざるを得なかったのは神の懲罰でした。不義の結果として生まれた子どもは死にます。このような悲劇的結果を迎えれば誰もが立ち直れない思いを味わうことでしょう。

 ダビデは悔恨と嘆きのうちに追いやられます。そこで、たいていの人は神から離れていくものです。神はただ厳しい神、無慈悲な神でしかないと思うからです。しかし、ダビデは裁きを受け入れ、悔い改め続けます。ダビデの罪は容易に赦されるような生易しいものではありません。神はダビデを見捨て、滅ぼされても当然でした。しかし、神は憐れまれます。その証拠が、与えられた子供エディドヤ(主に愛された者)、すなわちソロモンでした。神は、ダビデとその家への愛を捨てられませんでした。

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