月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年7月31日(金)

2コリント9章 心に決めた通りに

つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。(2コリント9:6-7)

 パウロは、コリントの人たちに向けて献身のしるしとして施し(献金)を勧めています。その際、パウロは、寛大に、気前よく施すなら、それが施しをする本人の真の利益でもあることを勧めています。

 箴言にも「散らしてなお、加えられる人もあり、締めすぎて欠乏する者もある。気前のよい人は自分も太り、他を潤す人は自分も潤う」(11章24、25節)とあるように、気前よく、寛大に施す者を、神は豊かに報いてくださいます。

 しかし、神による見返りを目当てにするのであれば、もはやこちら側は寛大でなくなっています。もしこの報いを物質的な豊かさと理解するなら、投機的な取引になってしまいます。寛大な施しとは、豊かに他者を祝福することです。その者は、神からも豊かに祝福されます。

 パウロが勧めていることは、施す者が、「不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりに」することです。見返りを求めず、神の前に謙遜な思いで、素直な思いで、自発的に施します。そうすれば、主は必ず、豊かに祝福してくださいます。

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