月刊誌リジョイス 聖書日課 2015年3月29日(日)

マタイ21章 気弱で意気地なしと思われても

「シオンの娘に告げよ。
『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、
柔和な方で、ろばに乗り、
荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。(マタイ21:5-7)

 受難週が始まりました。信仰の修錬のために主の御苦しみを黙想する今週の歩みが、祝福されますように。

 十字架の場面は、主イエスのエルサレム入城から始まります。神は、ダビデの子孫に王国を与え、「とこしえに堅く据える」(サム下7章13節)と約束されました。そしてその王は、「高ぶることなく、ろばに乗って」来られました(ゼカ9章9節)。

 熱狂的に歓迎したエルサレムの人々は、その後、同じ舌で、「殺せ」と叫びました。彼らは、ゼカリヤの預言の真意を悟らず、主イエスを気弱な意気地なしと見なしたからです。しかし、世界の真の救いと平和は、子ろばに乗る高ぶることのない王によるご支配以外にありません。

 主イエスは、強さを求める者の価値観とは正反対の方向に進んで行かれます。柔和な王イエスに学び、主を心の王座に迎え入れるとき、「力は弱さの中でこそ十分に発揮され」(2コリ12章9節)、弱さは神の強さに変えられていきます。キリストの十字架の弱さは、神の力の通路でした(2コリ13章4節参照)。私たちも弱いままで、主イエスについて行きます。

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