月刊誌リジョイス 聖書日課 2014年7月25日(金)

使徒19章 かたくなな人、主の言葉を聞く人

パウロは会堂に入って、三か月間、神の国のことについて大胆に論じ、人々を説得しようとした。しかしある者たちが、かたくなで信じようとはせず、会衆の前でこの道を非難したので、パウロは彼らから離れ、…ティラノという人の講堂で毎日論じていた。…だれもが、主の言葉を聞くことになった。(使徒19:8-10)

 救いの喜びについて、いくら熱心に人びとに語っても、まったく受け入れられないことがあります。牧師としては、自分は本当に主の召しを受けているのだろうかと自問してしまう時があります。

 主によって直接召しを受け、多くの神の民を救いに導いたパウロであっても、人びとに聞いてもらえず、会衆の面前で、公然と非難を受けました。福音宣教は、主が人を用いて行われます。しかし、ここに聖霊の働きがなければ、聞く者たちのかたくなな心は砕かれず、パウロであっても、改宗者が与えられません。

 しかしパウロがユダヤ人の会堂で語るのを諦め、ティラノという人の講堂を借りて語り始めると、エフェソばかりかアジア州の多くの人びとが集まってきました。

 福音宣教は、主によって私たち人間に託された重要な働きです。しかし同時に、福音宣教は主の業であり、人間が自分の力で成功を勝ち取ることはできません。主が必要な時と場所を備え、聖霊の御業と共に私たちの働きを用いてくださいます。だからこそ私たちはすべてを主に委ね、救いの喜びを証しすることが求められています。

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