月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年11月16日(土)

ローマ4章 信仰によって義とされる

しかし、「それが彼の義と認められた」という言葉は、…わたしたちのためにも記されているのです。…イエスを死者の中から復活させた方を信じれば、わたしたちも義と認められます。イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。(ローマ4:23-25)

 救いは、人間が努力して獲得するものではありません。努力によるものだとすれば、救いを得るのは不可能です。救いは、神の賜物として受け取るものです。

 救いは、神が人間との関係をご自身の方から変えることにより、到来します。神が実際罪深い人間を、罪がなく、さらに律法を完全に実行したと見なしてくださることから、救いが始まります。なぜそのようなことが可能なのでしょうか。それは、罪を悔い改め、キリストを信じることによって、キリストへの神の裁きが私への裁き、キリストの義が私の義と、神が見なしてくださるからです。これを義認といいます。

 キリストは、罪人の共同体の代表であり頭として、私たちの罪を引き受けてくださり、神に裁かれました。同時に、霊的に新たにされた共同体の代表であり頭として神に対して義となられ、その義が私たちに譲り渡されました。私たちは契約によってキリストを代表であり頭とする共同体に入れられているのです。キリストを信じて義とされることこそ、真の救いです。

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