月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年7月11日(木)

エゼキエル39章 真の平和

このことは到来し、実現する、と主なる神は言われる。それは、わたしが語った日である。イスラエルの町々に住む者は出て来て、もろもろの武器、すなわち盾と大盾、弓矢、棍棒、槍を火で燃やす。彼らはそれで七年間火を燃やし続ける。(エゼキエル39:8-9)

 「わたしが語った日」とは何を指すのでしょうか。エゼキエル書ではすでに7章において「終わりの日」についての多くの言葉が語られました。それは怒りが注ぎだされる日であり、傲慢に背く者たちが倒され、神が顔を背けられる日でした。これとは対照的に、39章では神が再び顔を現されるという言葉で終わります。神による怒りと赦しとは一体的なものなのかもしれません。

 いったい、このような「終わりの日」の到来はいつなのでしょうか。それを思わせるような出来事は歴史の上で何度も繰り返されましたが、まだ終わりではありません。しかし、この決定的な終わりの日において、神はご自身で、荒ぶる者たちの手から武器を叩き落され、ご自身の手で平和を実現されます。

 そして神の民は、神の御業を仰ぎつつ武器をもやし、地を清め、神のご栄光を再び見るといいます。ひとたびは、見捨てられたかのようであった者は、再び神の民として用いられます。ここに真の平和、神と私たちの平和が完成します。

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