月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年7月9日(火)

エゼキエル37章 神によって生きる

「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。彼らは言っている。『我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる』と。…主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。(エゼキエル37:11-12)

 この章では、骨が集まってきて組み合わされ、それに肉や筋が付き、皮膚で覆われ、やがて霊が吹き込まれて生きるという奇異な言葉があります。ここで、私たちが理解したいのは、この章は民の絶望からの回復を語っているということです。

 神によるエルサレムの破壊という決定的な審判を目にした人たちは、生きる希望を失っていたのでしょう。心の支えである神殿と民を包み込む礼拝は完全に失われてしまいました。それゆえ彼らは「我々の望みはうせ、我々は滅びる」と言ったのです。

 しかし、神はご自身の民をそのままにはしておかれず、彼らを生き返らせるのです。墓を開きご自身の民を引き上げられるのです。そればかりでなく、引き上げた民に向かってわが民と呼びかけ、ご自身を知らせてくださるといいます。神の霊が注がれるときに、私たちは神を知るものとされ、そのときにこそ、私たちは神の民として生き生きと生きる者へと造り変えられます。

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