月刊誌リジョイス 聖書日課 2012年4月8日(日)

ルカ24章 復活を信じる信仰

「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」(ルカ24:25-26)

 主の復活も、それに続く死人の復活も、神をどのように信じるかの問題です。弟子たちでさえ、どこまでも信じることができませんでした。なぜでしょうか。「物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない」からです。どれほど聖書が語り、主イエスが明瞭に説き明かしても、それを受け取る信仰がなかったのです。

 神は天地万物を造られ、高齢のアブラハムから、空の星のように多くの子孫を生み出され、エジプトとバビロンから、主の民を救い出されました。しかし、そのことを信じていたとしても、死からの復活を信じる信仰は特別です。なぜなら、これは人の思いや考えをはるかに超えたものだからです。

 だからこそ、「預言者たちの言ったこと」、すなわち、御言葉が必要でした。その御言葉に従ってすべてのことを成し遂げられたメシアは苦しみ、復活されました。苦しみを受けられたからこそ栄光に入る、それが神の御心です。この御心の実現を信じるところに復活の喜びが与えられます。

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