月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年9月12日(月)

イザヤ52章 見よ、わたしの僕は栄える

見よ、わたしの僕は栄える。
はるかに高く上げられ、あがめられる。(イザヤ52:13)

 52章13節から53章の最後までは、「苦難の僕」と呼ばれる有名な預言です。新約聖書によれば、この「苦難の僕」とはイエス・キリストです。十字架のキリストを知っている私たちには、このキリストのほかに「苦難の僕」の姿を求めることはできません。

 ところで、この預言は、「苦難」という呼び名とは裏腹に、「見よ、わたしの僕は栄える」という不思議な言葉で始まります。しかも、神のように「はるかに高く上げられ、あがめられる」僕の姿が最初に描かれます。僕の苦難にだけ目を奪われていては、この預言の真意を見失ってしまいます。

 主イエスは「心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか」(ルカ24章25、26節)と言われました。私たちは、主の十字架の苦しみによって、罪から贖われました。そして、復活と昇天の栄光に輝く方を主と仰ぎ、栄光の主に仕える信仰に生きているのです。

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