月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年9月9日(金)

使徒25章 主イエスは生きておられる

「パウロと言い争っている問題は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。」(使徒25:19)

 ユダヤ新総督となったフェストゥスは、ユダヤ教についての個人的関心はありませんでした。ところが、そのような彼でさえ、パウロの弁明によって、十字架で処刑されたイエスという男が今なお生きているということは、心に残りました。

 主イエスはわたしと共に生きていてくださる、という復活の主イエスへの確信が、どれほど、パウロの喜び、希望、伝える内容、その推進力そのものとなっていたかが分かります。

 主イエスは、「わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる」(ヨハ14章19節)とおっしゃいました。私たちが生きているという確かさにはるかにまさって、キリストこそ生きておられるのです。

 裁判につぐ裁判。しかし、パウロは希望を捨てませんでした。生きておられる主が、御霊を注いでご自身とパウロとを一つに結び、ご自身のいのちに生かしていてくださったからです。私たちも今日、それぞれの場で、復活の主と共に神の国の進展に仕えましょう。

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