月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年5月25日(水)

イザヤ34章 主の書に尋ね求めよ

もろもろの国よ、近づいて聞け
もろもろの民よ、耳を傾けよ。…
主の書に尋ね求め、読んでみよ。
これらのものに、ひとつも欠けるものはない。
雌も雄も、それぞれ対を見いださぬことはない。
それは、主の口が命じ
主の霊が集めたものだからである。(イザヤ34:1,16)

 創造主なる神を信じるということは、想像を絶するような大いなることです。宇宙に存在するすべては御心のままに造られたのですから、一切の摂理はただこの神の手の中にあるわけです。小さな世界で小さな頭の人間が、ああでもないこうでもないと難しい議論をしていたとしても、この方が滅ぼすとおっしゃれば、一切は一瞬にして無に帰します。

 聖書とは、実にこの万物の主権者の言葉です。それは、主の口が命じ、主の霊によって集められた言葉の集成です。このお方への信仰に生きた者たちが、神の心を示され、書き記した神の言葉です。

 イザヤ書34章では、神がエドムの審判を語っておられます。神の民イスラエルのことだけが、聖書に記されているのではありません。もろもろの国と民、大地と世界に満ちるすべてのもの(1節)は、聖書に耳を傾けねばなりません。日本人にとって、聖書は外国の書物ではありません。聖書の御言葉を通して、主の霊・主なる神は、今日の私たちに語っておられます。

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