月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年4月20日(水)

ヘブライ5章 受難週 希望と信頼の祈り

キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。(ヘブライ5:7)

 「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」(マタ26章39節)。この主イエスのゲツセマネの祈りは、次のように変えられました。「父よ、わたしが飲まない限りこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように」(同42節)。

 これは、諦めの祈りではありません。神の御心を喜び、服従された主イエスの希望と信頼の祈りです。どうして、主イエスはこのように強くなれたのでしょうか。それは「御自分を死から救う力のある方に、…聞き入れられ」たからです。御心に適う祈りは神に聞かれます。しかも祈る者の思いを超えて、万事を益とされる神の最善が実現します。主イエスの祈りは十字架の苦難を前に、父なる神に一切を委ねるその敬虔のゆえに、聞き入れられたのです。

 私たち信仰者の生涯には常に希望があります。この世の苦難は永遠の命に至る通過点にすぎません。一切を神に委ねて祈りましょう。

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