月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年4月18日(月)

マタイ21章 受難週 罪人を迎える主イエス

弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は木の枝を切って道に敷いた。(マタイ21:6-8)

 十字架で処刑される週、主イエスは子ろばに乗ってエルサレムに入城されました。民衆は、「ダビデの子にホサナ」と歓呼しましたが、その御姿の真意を理解していたわけではありません。この後、主は十字架で処刑されたからです。

 人間の無知と愚かさの一切は、神に反逆した人間の罪から出ています。主イエスは人間に対する神の裁きを身代わりに負い、十字架に向かわれました。ここで起こっていたことは、どういうことでしょうか。実は民衆がエルサレムで主イエスを迎えたのではありません。むしろ主イエスが、罪あるままの人間を迎えられたのです。裏切ろうとするユダと、殺害を企むユダヤ教指導者、過越祭に暴動を警戒するローマ兵、そして無力な弟子たちと民衆。さまざまな人間が織りなす罪の現実を前に、主イエスは十字架に向かって進まれました。

 真の平和は、罪人に代わって神からの裁きを受けられた主イエスによる神との和解によって到来します。救い主を迎える以前に、主に迎えられている事実を感謝しましょう。

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