月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年2月10日(木)

ローマ12章 生きることは一つ

自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。(ローマ12:1)

 2月11日にちなんで、教会と国家という主題を考えます。この主題はさまざまな緊張をもたらします。巨大な権力を前に、信仰の良心が萎える思いを抱かない人がいるでしょうか。神への忠誠を心にしまいこみ、現実の生活は隠れキリシタンのように、というひそかな誘惑の声が聞こえてきます。

 神はここで、生きる器としての「体」そのものを求めておられます。「体」の意味と目的がキリストにおいて新しくされました。かつて神の民は、身代わりの動物を献げて神を礼拝しました。しかし、新しい契約のもとで、キリストは、ご自身の体を丸ごと、いけにえとして神に献げられました。

 その結果、不義の道具でしかなかった体に、今やキリストの命が注がれています。体をキリストの命に生かされた生けるいけにえとして献げる、礼拝的人生が始まっています。ここに生きる私たちは、現実の政治や国家と関わることなく、その傍らを通り過ぎることはできません。この主題に誠実に取り組むことが教会の使命です。

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