月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年1月29日(土)

マタイ12章 言葉によって裁かれる

「言っておくが、人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる。」(マタイ12:36-37)

 主イエスは、私たちが救いに与るためには、語る言葉に気をつけなさいと勧めます。神は人間の言葉を重んじ、語られた言葉への責任を問われます。裁きの日に、「自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪ある者とされる」という結果を生みます。

 私たちの一体だれが、言葉において責められることのないものでしょうか。私たちの「つまらない言葉」、うっかりと口をついて出た悪い言葉も、「心にあふれていることが出て来る」(34節)のです。私たちはこのことにおいて、自分の罪を認めずにはおれません。

 しかし、そこで覚えたいことは、この罪もキリストによって赦されるということです。主は「人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦される」(31節)と言われています。言葉における罪を認め、主に罪を言い表しましょう。そして、赦していただきましょう。また、言葉で罪を犯す者を赦し、とりなしましょう。そのとき聖霊は、私たちの口によい言葉を語らせてくださいます。

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