月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年11月9日(火)

ヨブ19-21章 わたしは神を仰ぎ見る

わたしは知っている
わたしを贖う方は生きておられ
ついには塵の上に立たれるであろう。
この皮膚が損なわれようとも
この身をもって
わたしは神を仰ぎ見るであろう。(ヨブ19:25-26)

 「どうか、わたしの言葉を聞いてくれ。聞いてもらうことがわたしの慰めなのだ」(21章2節)。

 周囲の人びとに、そう懇願しなければならないような状況。しかし、聞いてもらいたいが、実は、人には言えない。また、「なぜ、神に逆らう者が生き永らえ」るのか(同7節)、と思わざるを得ない周囲の現実。それにひきかえ、自分の身だけに襲いかかってくる試練。この不条理の中で「空しい言葉」(同34節)の慰めは、力になりません。

 そういうときこそ、神は力業をなさいます。神がご自身の力を発揮され、苦難の中に「希望」の光を輝かせてくださいます。神は、信仰の目をも開いてくださり、私たちは、その御業をとらえることができます。真実の贖い主が、そこにおられることを見るのです。

 そのとき、私たちの魂はこの究極の「希望」を見つめて「わたしは知っている」と告白することでしょう。「わたしを贖う方、イエス・キリストは生きておられる。かつて塵の上に立たれたこの方は、やがて再び来られるであろう」と。

コントローラ

Copyright (C) 2010 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.